「アイドルを応援するのは、疑似恋愛したいからでしょう?」そう思っていませんか。確かに、アイドルに本気で恋をする「リアコ(リアルに恋している)」という言葉もあります。しかし、世の中には他者に恋愛感情や性的惹かれを抱かない「アセクシャル(Asexual)」や「アロマンティック(Aromantic)」の人々がいます。
私が驚いたのは、そうした人々の中にも、熱狂的なジャニオタが大勢いるという事実です。恋愛感情ゼロで、いったい何が彼女たちをそこまで夢中にさせるのでしょうか。この記事では、アセクシャルの人々がジャニーズアイドルに熱狂する、恋愛以外の深い理由を徹底的に解き明かします。
アセクシャルとは?恋愛感情との違いを知る

ジャニオタの心理を探る前に、まず「アセクシャル」という言葉の定義をはっきりさせておく必要があります。これは、人の「惹かれ方」の多様性を理解する上で非常に重要です。
惹かれ方には種類がある
私たちは「好き」という言葉をひとくくりにしがちです。しかし、アセクシャルの文脈では、「惹かれ方」を細かく分けて考えます。主なものは以下の通りです。
- 性的惹かれ|相手と性的な行為をしたいと感じる惹かれ方
- 恋愛的惹かれ|相手と恋愛関係(いわゆる「付き合う」こと)になりたいと感じる惹かれ方
- 美的惹かれ|相手の外見や所作を「美しい」「格好いい」と芸術のように感じる惹かれ方
- プラトニックな惹かれ|相手と親しい友人になりたいと感じる惹かれ方
これらの惹かれ方は、必ずしもすべてが連動するわけではありません。
アセクシャルとアロマンティック
この惹かれ方の分類を基に、アイデンティティを理解します。
| アイデンティティ | 性的惹かれ | 恋愛的惹かれ |
| アセクシャル | 抱かない | 抱く人もいる |
| アロマンティック | 抱く人もいる | 抱かない |
| AroAce | 抱かない | 抱かない |
この記事で注目するのは、こうした「性的惹かれ」や「恋愛的惹かれ」を持たない、あるいはほとんど持たない人々が、なぜジャニオタとして熱中するのか、という点です。
恋愛感情ゼロでもジャニオタになる3つの理由
恋愛感情が動機でないとしたら、一体何が彼女たちを惹きつけるのでしょうか。私が調査したところ、そこには大きく分けて3つの強力な魅力が存在します。
理由1|芸術としての「美的惹かれ」
アセクシャルのファンがアイドルに向ける視線は、しばしば「鑑賞」という言葉で表現されます。これは、恋愛対象としてではなく、芸術作品としてアイドルを評価している状態です。
例えば、彫刻の造形美や、絵画の色彩に感動するのと同じ感覚です。アイドルの完璧に計算されたダンス、表情管理、美しい衣装、そしてステージ全体の世界観。それらすべてが、彼女たちにとっては「尊い」芸術鑑賞の対象となります。
この「美的惹かれ」は、性的・恋愛的な欲求を伴いません。純粋にその「美しさ」や「格好良さ」に感動し、そのパフォーマンスを見るためにお金と時間を費やすのです。
理由2|才能や人柄への「尊敬と感銘」
次に大きいのが、アイドル個人に向けられる「尊敬(リスペクト)」です。これは、アイドルを「ロールモデル」として捉える視点と言えます。
厳しいレッスンを耐え抜くプロ意識、ファンを楽しませようと努力する姿勢、グループの仲間を思いやる人間性。そうした内面的な魅力や才能に対して、深い感銘を受けます。
私が感じるに、これは「あの人のようになりたい」「あの人の生き方から学びたい」という、人生の活力源としての「推し」です。恋愛感情とは全く異なる次元で、その存在が日々の支えとなります。
理由3|幸せを願う「プラトニックな愛情」
アセクシャルのファンが抱く「好き」は、恋愛とは異なる「愛情」の形をとることがあります。それは「家族愛」や「親戚の感覚」に近いものです。
「自分が付き合いたい」という欲求ではなく、「ただ、推しに幸せでいてほしい」「美味しいものを食べて、よく眠って、健康でいてほしい」という、純粋な庇護欲や幸福を願う気持ちです。
このプラトニックな愛情は非常に深く、見返りを求めません。推しが輝いている姿を見ること自体が、ファン自身の幸福に直結します。
アセクシャル・ジャニオタが感じる「推し活」のリアル
恋愛感情を前提としないファン活動は、独特の喜びがある一方で、特有の葛藤も生み出します。
喜び|恋愛の圧力を感じない「安全な関係」
アイドルとファンの関係は、基本的に一方通行の「パラソーシャル関係」です。これが、アセクシャルの人々にとって大きな安心感を生み出します。
現実の人間関係では、「好意には好意で応えなければ」という恋愛的なプレッシャーを感じることがあります。しかし、アイドルの「推し活」では、そうした見返りを求められません。
自分が「美しい」と感じるままに鑑賞し、「尊敬できる」と感じるままに応援する。恋愛や性愛の文脈から切り離された、安全な距離感で情熱を注げることが、ジャニオタ活動の大きな魅力となります。
葛藤|「リアコ」文化との温度差
一方で、ファンダム(ファンの集まり)の中で疎外感を覚える瞬間もあります。それは、ファン活動が「恋愛」を前提として語られる時です。
例えば、雑誌の「理想のデート特集」や、コンサートでの「ファンサ(ファンサービス)」、他のファンの「リアコ」発言などです。周囲が熱狂する「胸キュン台詞」に全く共感できず、温度差を感じてしまうことがあります。
自分の「好き」の形が、ファンダムの主流である「恋愛」とは違うことに悩み、「私の応援の仕方は間違っているのだろうか」と不安になる人も少なくありません。
ジャニオタ活動が「自分らしさ」を見つけるきっかけに
興味深いことに、ジャニオタ活動が、結果として自己発見の触媒になるケースが多く報告されています。
ファンダムが「自分」を映す鏡になる
ジャニオタになる前は、自分の「恋愛感情のなさ」に気づいていなかった、あるいは漠然とした違和感しか持っていなかった人もいます。
しかし、ファンダムに入り、他のファンが熱烈に語る「恋心」や「性的魅力」を目の当たりにします。そこで初めて、「自分がアイドルに感じている気持ちは、あれとは違う」と明確に自覚するのです。
周囲の「リアコ」と自分の「美的惹かれ」や「尊敬」を比較することで、「私はアセクシャル(アロマンティック)だったんだ」と、自分のアイデンティティを発見するきっかけになります。
共通の話題で繋がるコミュニティ
アセクシャルやアロマンティックであることは、恋愛話が中心になりがちな日常では、孤立感に繋がることがあります。
しかし、「ジャニオタ」という共通項があれば、話は別です。「あのパフォーマンスが最高だった」「この人柄が尊敬できる」といった、恋愛以外の視点で熱く語り合える仲間が見つかります。
SNSなどを通じて、「恋愛感情はないけれど、ジャニーズが大好き」という同じ感覚を持つ人々と繋がれる。これは、自分は一人ではないという強い肯定感(アファメーション)に繋がります。
まとめ|「好き」の形は一つじゃない
「恋愛感情ゼロ」でもジャニオタが熱狂する理由は、恋愛という枠組みを遥かに超えた多様な魅力にありました。それは、芸術を愛でる「美的惹かれ」であり、生き様への「尊敬」であり、幸福を願う「プラトニックな愛情」です。
私がこの記事で伝えたかったのは、「好き」の形は決して一つではない、ということです。恋愛感情があってもなくても、アイドルを応援したいという情熱は、どちらも等しく本物です。
ジャニーズアイドルという存在は、恋愛感情の有無にかかわらず、多くの人々に生きる活力とインスピレーションを与え続けています。あなたの「推し活」も、あなただけの素晴らしい「好き」の形なのです。
